2006年5月26日 (金)

初恋

初恋は実らないほうがいい。という人がいます。きれいな想い出にできるから、とも。もちろん初恋が実り、そのまま一生愛し続けて生涯を終えることができれば、それは素晴らしいことだと思います。
ある著名な宗教家が、その著書のなかで度々初恋の方の想い出を語っておられ、さぞ美しく聡明な方とご想像していたところ、ご高齢となり、どうしてもその方とお会いしたいと思ったそうです。そしてお会いした後のお話がこうでした。「会ってがっかりした。干からびた婆さんになっとった。」というのです。初恋のお相手の方には失礼ですが、読みながら納得してしまいました。その宗教家の奥様はほっとされたのではないかとご想像して。
愛するご主人の心が初恋の幻影にとらわれているままでは、奥様の献身は穴の開いた器に水を溜めるようなもの。そしてそのようなことはみんなお見通しのうえで、あけすけにお話をされるその宗教家の先生を、また好きになりました。

村下孝蔵さんはその代表作「初恋」で、「好きだよ」と口にすることさえできなかった初恋の淡さを、ゆれるふりこ細工に表現し、五月雨の頃の情景のなかにおさめました。初恋の想い出は、自身にとっても大事な宝物であったと思います。
村下孝蔵さんの告別式で、初めて奥様をお見かけしましたがおきれいな方でした。そのお姿を思い出し、同じ女性として、前記のようなお話を思いました。

作詞にしろ小説にしろ作品を創作するということは、全てが自己の体験から描かれたものではありません。過去に読んだ小説やテレビドラマなどから、或いは独自のフィクションを織り交ぜて創作することができます。ただ当事者の気持ちや感情は、やはり体験したものでないと表現できない場合があります。村下さんの作品には、当事者でないと、いえ、当事者さえ気付かないような感情の描写があり、ドキッとさせられるのです。
村下さんは、「恋」という移ろいやすい人の心の内面を、省略しないで描いているように思えます。ある時は別れの一場面を、またある時は恋人たちのくらしを、写真を見るように映像を見るように、丁寧に描写することにより、心象風景が立体的に受け手に伝わります。
創作するものにとって自分の作品は、公表した時から自分の手を離れることを覚悟しなくてはなりません。村下さんにとっても、どの歌も大事な分身のような存在であると思います。でもこれらの作品が、受け手一人ひとりの心で咀嚼され、実演され、翻案されていく。それがやがて文化となるのだということを、私は信じます。今では村下さんも、そのように人々の心に生き続けることを望んでいると信じています。 (君影草)

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2006年5月23日 (火)

村下孝蔵 その作品の魅力

村下さんの歌は、何度聞いても歌っても、あきることがない。そう感じるのは私だけでしょうか。ファンの一人として、またかつて作詞家をめざしたものとして、村下さんの作品をあらためて研究しようと試みていますが、その奥の深さにはまりこんでしまいました。まだやり始めたばかりですが、迷路に入り込んでしまったかのごとくです。
村下さんの歌の魅力をあげてみると、まずメロディーの美しさや演奏力、包容力のある歌声などがあげられると思いますが、作詞、言葉の使い方についても不思議な魅力を持っていると思います。ひとつの作品を、聴くものの体験により、幾とおりにも詠みとれる言葉でストーリーをつくりあげているのです。また、これとこれは一対ではないだろうか、これとこれは同じ人を描いているのではないか、など、一つの歌では不可解でも、いくつかの歌をつなげてみると納得できる、という風に、作品と作品がつながりあっているように思えるのです。
言葉の意味をひとつひとつ辿り、不可解なものの原因を解いていく作業のなかで、村下さんが本当に伝えようとしたことは何だったのか、少しずつわかってきたような気がするのです。
おそらく村下さんは、全ての人にわかってもらおうと思って作ったのではないのかもしれません。聴く人の琴線に触れた時、村下さんの歌は、本当の姿をあらわすのでしょう。 (君影草)

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