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2006年6月21日 (水)

オンリーワン 村下孝蔵

村下さんの後ろ姿。それは村下さんを後方支援するバンドマンや、村下さんのステージを支えるスタッフの視線ですが、私は、村下さんの背中と観客を見渡せる位置にいたこの方たちの立場になってみることを思い立ちました。

私自身は楽器をやらないため、村下さんの作品を演奏することができませんが、実際に演奏する方からお聞きしたところ、演奏は難しいそうです。たとえば歌も、口先で唄えるようなものは少なく、おなかからしっかりと声を出さないとかすれてしまうため、かなりカロリーを使います。(演奏できない私はカラオケで歌うこと多し)つまり村下さんは、簡単には実演できない歌曲を創っていたことになります。でも何故?
村下さんは今風でいえば“オンリーワン”をめざしていたのではないか、と思っています。
自分にしかできないこと、自分たちにしか表現できないこと、それが村下ワールドだったのではないか、と思います。あくまでも外部から見た個人的な憶測ですが。
「同窓会」が出された時、それはもう一度仲間を集めようとして始めたアルバムだった、ということを、須藤プロデューサーが歌詞カードのなかで記していました。
どんなに電子楽器が進化しても、村下さんの伝えたい世界には、人としての感性がとても重要だということを感じます。人の心のひだをひたひたと満たす郷愁や共感性。「悲しいのは君だけじゃないよ。」それは機械には表現しにくい“オンリーワン”の世界なのだと思います。

浮き沈みの激しい業界の中で、自分の信念を通して活動するということは、大変なことだったのではないでしょうか。村下さんは温厚な性格だったのではないかと思いますが、演奏し始めたら頼りがいのある兄貴、でもいざ歌いはじめたら、そのナイーブな内面は、満身創痍の恋の兵士に見えたのではないでしょうか。
作品のなかで、気まぐれな彼女との別れを描いたものがありますが、その彼女とは、本当は業界のことを比喩したものではないか、とふと思いました。
村下さんが亡くなられてから早7年。表面には出ていませんでしたが、村下さんには、コアなファンがたくさんいたのだということを気付かされます。

まもなく命日を迎えます。あの日から年をとらない村下さん。少しの間だけ、同い年ですね。 合掌

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2006年6月11日 (日)

禁じられた恋の祈り

村下孝蔵さんの歌には、禁じられた恋、許されない愛、という題材をいくつかみつけることができます。深く愛しながらも、しかしそれは雪のように消えて現実となりません。略奪もなければ逃避行もなく、愛は二人の思いの中だけで生き続けます。「いいなずけ」と「花れん」に、その思いを辿ってみます。

夏の夜の静かな愛の景色を感じさせる「いいなずけ」は、深い愛の言葉が、流れるようなメロディーにのせられています。隠れた恋におちた二人は、ただただ運命の人と信じて、いつか許されると信じて、心を重ねてきました。しかし私には、ある疑問がありました。
“愛してる 愛してる くり返し 抱きしめ合い”というフレーズは、愛の逢瀬を意味しているのでしょうか。私は違うのではないかと思うようになりました。この二人には、現実としての行為はなかったのではないかと思います。というのもその前に“いつまでも心を重ね 祈ってみても 隠れた恋”と表現しているからです。
重ねたのは心であること。もしくり返し逢瀬を重ねた恋なら、ずっと隠れていられるでしょうか。二人はお互いの愛を確かめながらも、現実に結ばれることなく、祈ることしかできなかったのではないでしょうか。
この歌のなかには“風鈴”と“蛍”が描かれていますが、これは相手の女性のことではないかと思いました。風鈴は自分から鳴くことはありません。風に揺れて静かに鳴きます。“手招き 誘ってみても 宙を回って 逃げて消えた”蛍は、夢のなかで誘った女性が、するりと消えるように逃げてしまった、と受け取れないでしょうか。思いのなかで強く結ばれるほど二人は惹かれあいながらも、現実には結ばれていなかったのではないでしょうか。
その女性とは運命的に決められていた「いいなずけ」だったと信じたい。いつか結ばれることは、神の意思で決められているのだと。

「いいなずけ」が男性の気持ちだとすると、同じような立場の女性の気持ちを「花れん」にみることができます。“追いかけてゆきたいけれども 何もかも捨てたいけれども”それでもそれをできない女性の心です。
“心が形で 送れるものならば どんなにあなたは 驚くでしょうか”相手の男性は、この女性の本心を知らされないまま、離れてしまったのでしょう。
“小さなビーズの首飾り 取り出してみたら糸が切れ 床に散らばった”この首飾りが二人の今の別れを意味するのか、本心を伝え二人が逃避行したらこのようになってしまうのでは、ということなのか、私は後者のような気がしました。何もかも捨てて追いかけてゆきたい。でもそれは自分たち二人だけの問題ではなく、その周囲全ての破綻を意味していることを、女性は心配しているのでしょう。
せめてあなたに、気持ちだけでも伝えたい。青空に花びらを集めて。“たとえば 白い花ならば 寂しくて泣いていますと 紅い花なら元気ですと 教えられたなら”

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