荒川百景
マイフォト追加しました。(^-^)
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久しぶりの更新です。
今、色んなジャンルの音楽アーティストの動きを、ネット上で探索しています。
その中でクリヤ・マコトさんのホームページのコラムに、こんな言葉がありました。
元来音楽というものは、生きていくのが困難な人々にこそ最も必要とされてきた。ラテン社会やアフロ社会でポピュラー音楽が高度に発達した理由は、音楽が安価で身近な楽しみであり、人々の生活に深く密着しているからだ。
あぁ、そうだ、そうなんだ。
孤独だと感じたり、生きるのが辛かったり、そんな時、音楽はいつもそばにいました。だからわたしたちはそれを聴き涙がこぼれるし、音楽を必要としていたのだとわかりました。
村下さんはどうだったのでしょう。
今度村下作品を詞のない曲だけの音楽で聴いてみたいのですが、プロデューサーの方お願いできませんか?
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村下孝蔵さんの「帰郷」では、最後に「もう二度と戻らない…」というフレーズがありますが、わたしの場合は帰ってきましたよ~。まぁ当然ですが。
「帰郷」はなんだかせつなくなる歌ですが、大好きです。
貴方の胸から離れてしまったけれど、もしもう一度逢えたら、貴方の胸に飛び込みたい。
もう二度と戻らないと、駅の伝言板に書いたけれど、それを貴方が見るかどうかはわからないのでしょう。
ただ自分の決心だけ。
自分勝手な女性のようにも思えます。自分の気持ちのありようを相手にわかってもらいたいだけなら、この女性が愛しているのは自分なのではないでしょうか。
それが女性の本性なのでしょうか。
恋そのものは、身勝手からはじまるものかもしれません。
帰省中の写真をマイフォトにしました。
コメント入れる時間がないので流して下さい。左下に表示してあります。
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村下孝蔵トリビュートアルバム「絵日記と紙芝居」が発売されました。
誰からでも愛され、誰でも歌える歌に、なっていくのでしょうか。前回「オンリーワン 村下孝蔵」という記事を書きながら、正反対の仮定をしています。
早速聴いてみました。
でも忙しい時だったので落ち着いて最後まで聴けませんでした。流すだけでは「心」を聴き逃してしまいます。その時はあまり心に響いていませんでした。
改めて再度聴いてみました。
お名前だけではお顔が浮かばないアーティストの方が多かったのですが、それがよかったと思います。
その人の声で、その人の思いで、歌われた村下孝蔵。あまり先入観なしに、村下さんへの思い入れを沈めて聴いてみました。村下さんの歌詞からくるつらさは薄められて、いろんな色のしゃぼん玉がぷかりぷかりと浮かんでみえます。アルバムのデザインも、それをイメージしたものではないでしょうか。
「絵日記と紙芝居」。ひとつの絵に自分の日々を綴った絵日記のような歌。歌と歌が物語となっている紙芝居のような歌。それらの歌がしゃぼん玉のように空に舞い上がります。
なかでも心惹かれたのはジュジュさんの「だめですか?」でした。
「わたしはだめですか、だめですか…。」
演歌的な主人公ではなく、どこか甘え方を知らないまま人を愛してしまった孤独を表現できる、稀有な声質の方でした。
そして中村善郎さんの「白い花の咲く頃」。
村下さんの作品とは思えないような歌に仕上がっていますが、すごくおしゃれでした。
何度も聴いてみようと思います。
それは村下さんを忘れることではなく、村下さんが生まれ変わることだと思うから。
多くの人に聴いてもらう、歌ってもらうには、あまり深い思い入れがない方がいいのかもしれません。ちょっと悲しいことですが。
わかるわからないではなく、スキかどうか。難しいところはやさしくできるよう音程をずらすことだって今は簡単です。
女性陣がとてもいいな、と思いました。本当は難しいのに。でも村下さんの歌は女性の気持ちを歌ったものが多いのですから、女性の方があっています。
村下さんの歌は、うまく歌おう、かっこよく歌おうとするとうまくいかない気がします。
その歌の気持ちになって素直にまっすぐに歌うと、いいような気がします。
聴いてみませんか。歌ってみませんか。村下さんの世界を。
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村下さんの後ろ姿。それは村下さんを後方支援するバンドマンや、村下さんのステージを支えるスタッフの視線ですが、私は、村下さんの背中と観客を見渡せる位置にいたこの方たちの立場になってみることを思い立ちました。
私自身は楽器をやらないため、村下さんの作品を演奏することができませんが、実際に演奏する方からお聞きしたところ、演奏は難しいそうです。たとえば歌も、口先で唄えるようなものは少なく、おなかからしっかりと声を出さないとかすれてしまうため、かなりカロリーを使います。(演奏できない私はカラオケで歌うこと多し)つまり村下さんは、簡単には実演できない歌曲を創っていたことになります。でも何故?
村下さんは今風でいえば“オンリーワン”をめざしていたのではないか、と思っています。
自分にしかできないこと、自分たちにしか表現できないこと、それが村下ワールドだったのではないか、と思います。あくまでも外部から見た個人的な憶測ですが。
「同窓会」が出された時、それはもう一度仲間を集めようとして始めたアルバムだった、ということを、須藤プロデューサーが歌詞カードのなかで記していました。
どんなに電子楽器が進化しても、村下さんの伝えたい世界には、人としての感性がとても重要だということを感じます。人の心のひだをひたひたと満たす郷愁や共感性。「悲しいのは君だけじゃないよ。」それは機械には表現しにくい“オンリーワン”の世界なのだと思います。
浮き沈みの激しい業界の中で、自分の信念を通して活動するということは、大変なことだったのではないでしょうか。村下さんは温厚な性格だったのではないかと思いますが、演奏し始めたら頼りがいのある兄貴、でもいざ歌いはじめたら、そのナイーブな内面は、満身創痍の恋の兵士に見えたのではないでしょうか。
作品のなかで、気まぐれな彼女との別れを描いたものがありますが、その彼女とは、本当は業界のことを比喩したものではないか、とふと思いました。
村下さんが亡くなられてから早7年。表面には出ていませんでしたが、村下さんには、コアなファンがたくさんいたのだということを気付かされます。
まもなく命日を迎えます。あの日から年をとらない村下さん。少しの間だけ、同い年ですね。 合掌
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村下孝蔵さんの歌には、禁じられた恋、許されない愛、という題材をいくつかみつけることができます。深く愛しながらも、しかしそれは雪のように消えて現実となりません。略奪もなければ逃避行もなく、愛は二人の思いの中だけで生き続けます。「いいなずけ」と「花れん」に、その思いを辿ってみます。
夏の夜の静かな愛の景色を感じさせる「いいなずけ」は、深い愛の言葉が、流れるようなメロディーにのせられています。隠れた恋におちた二人は、ただただ運命の人と信じて、いつか許されると信じて、心を重ねてきました。しかし私には、ある疑問がありました。
“愛してる 愛してる くり返し 抱きしめ合い”というフレーズは、愛の逢瀬を意味しているのでしょうか。私は違うのではないかと思うようになりました。この二人には、現実としての行為はなかったのではないかと思います。というのもその前に“いつまでも心を重ね 祈ってみても 隠れた恋”と表現しているからです。
重ねたのは心であること。もしくり返し逢瀬を重ねた恋なら、ずっと隠れていられるでしょうか。二人はお互いの愛を確かめながらも、現実に結ばれることなく、祈ることしかできなかったのではないでしょうか。
この歌のなかには“風鈴”と“蛍”が描かれていますが、これは相手の女性のことではないかと思いました。風鈴は自分から鳴くことはありません。風に揺れて静かに鳴きます。“手招き 誘ってみても 宙を回って 逃げて消えた”蛍は、夢のなかで誘った女性が、するりと消えるように逃げてしまった、と受け取れないでしょうか。思いのなかで強く結ばれるほど二人は惹かれあいながらも、現実には結ばれていなかったのではないでしょうか。
その女性とは運命的に決められていた「いいなずけ」だったと信じたい。いつか結ばれることは、神の意思で決められているのだと。
「いいなずけ」が男性の気持ちだとすると、同じような立場の女性の気持ちを「花れん」にみることができます。“追いかけてゆきたいけれども 何もかも捨てたいけれども”それでもそれをできない女性の心です。
“心が形で 送れるものならば どんなにあなたは 驚くでしょうか”相手の男性は、この女性の本心を知らされないまま、離れてしまったのでしょう。
“小さなビーズの首飾り 取り出してみたら糸が切れ 床に散らばった”この首飾りが二人の今の別れを意味するのか、本心を伝え二人が逃避行したらこのようになってしまうのでは、ということなのか、私は後者のような気がしました。何もかも捨てて追いかけてゆきたい。でもそれは自分たち二人だけの問題ではなく、その周囲全ての破綻を意味していることを、女性は心配しているのでしょう。
せめてあなたに、気持ちだけでも伝えたい。青空に花びらを集めて。“たとえば 白い花ならば 寂しくて泣いていますと 紅い花なら元気ですと 教えられたなら”
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初恋は実らないほうがいい。という人がいます。きれいな想い出にできるから、とも。もちろん初恋が実り、そのまま一生愛し続けて生涯を終えることができれば、それは素晴らしいことだと思います。
ある著名な宗教家が、その著書のなかで度々初恋の方の想い出を語っておられ、さぞ美しく聡明な方とご想像していたところ、ご高齢となり、どうしてもその方とお会いしたいと思ったそうです。そしてお会いした後のお話がこうでした。「会ってがっかりした。干からびた婆さんになっとった。」というのです。初恋のお相手の方には失礼ですが、読みながら納得してしまいました。その宗教家の奥様はほっとされたのではないかとご想像して。
愛するご主人の心が初恋の幻影にとらわれているままでは、奥様の献身は穴の開いた器に水を溜めるようなもの。そしてそのようなことはみんなお見通しのうえで、あけすけにお話をされるその宗教家の先生を、また好きになりました。
村下孝蔵さんはその代表作「初恋」で、「好きだよ」と口にすることさえできなかった初恋の淡さを、ゆれるふりこ細工に表現し、五月雨の頃の情景のなかにおさめました。初恋の想い出は、自身にとっても大事な宝物であったと思います。
村下孝蔵さんの告別式で、初めて奥様をお見かけしましたがおきれいな方でした。そのお姿を思い出し、同じ女性として、前記のようなお話を思いました。
作詞にしろ小説にしろ作品を創作するということは、全てが自己の体験から描かれたものではありません。過去に読んだ小説やテレビドラマなどから、或いは独自のフィクションを織り交ぜて創作することができます。ただ当事者の気持ちや感情は、やはり体験したものでないと表現できない場合があります。村下さんの作品には、当事者でないと、いえ、当事者さえ気付かないような感情の描写があり、ドキッとさせられるのです。
村下さんは、「恋」という移ろいやすい人の心の内面を、省略しないで描いているように思えます。ある時は別れの一場面を、またある時は恋人たちのくらしを、写真を見るように映像を見るように、丁寧に描写することにより、心象風景が立体的に受け手に伝わります。
創作するものにとって自分の作品は、公表した時から自分の手を離れることを覚悟しなくてはなりません。村下さんにとっても、どの歌も大事な分身のような存在であると思います。でもこれらの作品が、受け手一人ひとりの心で咀嚼され、実演され、翻案されていく。それがやがて文化となるのだということを、私は信じます。今では村下さんも、そのように人々の心に生き続けることを望んでいると信じています。 (君影草)
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村下さんの歌は、何度聞いても歌っても、あきることがない。そう感じるのは私だけでしょうか。ファンの一人として、またかつて作詞家をめざしたものとして、村下さんの作品をあらためて研究しようと試みていますが、その奥の深さにはまりこんでしまいました。まだやり始めたばかりですが、迷路に入り込んでしまったかのごとくです。
村下さんの歌の魅力をあげてみると、まずメロディーの美しさや演奏力、包容力のある歌声などがあげられると思いますが、作詞、言葉の使い方についても不思議な魅力を持っていると思います。ひとつの作品を、聴くものの体験により、幾とおりにも詠みとれる言葉でストーリーをつくりあげているのです。また、これとこれは一対ではないだろうか、これとこれは同じ人を描いているのではないか、など、一つの歌では不可解でも、いくつかの歌をつなげてみると納得できる、という風に、作品と作品がつながりあっているように思えるのです。
言葉の意味をひとつひとつ辿り、不可解なものの原因を解いていく作業のなかで、村下さんが本当に伝えようとしたことは何だったのか、少しずつわかってきたような気がするのです。
おそらく村下さんは、全ての人にわかってもらおうと思って作ったのではないのかもしれません。聴く人の琴線に触れた時、村下さんの歌は、本当の姿をあらわすのでしょう。 (君影草)
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五月雨といえば…? 五月雨や あつめてはやし 最上川 (芭蕉) は有名ですが、ほかにもまだありますね。そうそう♪五月雨は緑色 淋しくさせたよ 一人の午後は~♪歌人村下孝蔵さんの代表作「初恋」です。この季節になるときまって口ずさみたくなる大好きな歌です。
こんにちわ 「君影草 nifty版」の管理人すずらんです。この度niftyでもブログを発信させていただくことにいたしました。村下さんのファンの一人です。
1999年6月、残念ながらご本人は天国へ召されてしまいましたが、形見ともいえる多くの素敵な作品を遺されました。JASRACに登録されている曲だけでも140曲。詩情あふれる詞とメロディーにやさしい歌声。キュンとさせる恋の心象風景は、経験した誰もが心を震わせるのではないかと思います。村下さんはまた、卓越したギター奏者でもありました。アコースティックギターのやわらかな深みある演奏は、それだけでも人を魅了します。しかし、その多くは未だ皆さんのお耳に届いていないのではないかと思いました。私自身もまだ60曲くらいしか聞いたことがないのです。
私は業界のものでも村下さんの関係者でもありません。一人のファンにすぎないものですが、一人でも多くの方にその良さを知っていただきたいと思い、このブログを発信することに致しました。どうぞよろしくお願いします。
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